飯能にある
自由の森学園の
公開講座で、はじめてワタ摘みをした。
今日は最終回だったんだけど、「1回からの参加もどうぞ」ということだったので申し込んだ。
去年の5月ぐらいに植えたワタが、もうはじけて収穫できる(収穫にはちょっと遅いくらい)ということで、10人ぐらいの参加者でワタ摘み。
ワタの実がはじけて、ワタが出ている。先を引っぱると、脱脂綿を引っぱった時みたいになり、「あー ほんとにワタなんだー」と実感。
白いワタ、茶色いワタがあって、原種に近い方が茶色いらしい。中にはグリーンのもある(カビたわけじゃない)。
日本のワタは下を向いているので、上から見ていると取り残してしまう。アメリカ南部のものは上を向いているそうだ。乾燥地帯で雨がほとんど降らないから、上向きでも大丈夫だけど、日本は雨があるから下向きなのかもしれないと聞いて、植物の環境適応ってすごいな、と感心。
摘んだワタを教室に持ち帰り、ワタをほぐして中の種を取りのぞく。
これがワタ繰り。
栽培からここまで、植物である間を「棉」、繊維として利用する段階に入ってからを「綿」と区別するんだそうだ。
ワタ摘みの写真は失敗してしまったけど、ワタ繰りの状態はこれ。

手前左が種入りの茶色いワタ。
奥がグリーンの綿。
右がワタの種。

白いワタをちぎるようにして
中の種を取り出しているところ。
すごーく地味な作業です。

これだけの綿にするのに、
30分ぐらい?
もうちょっとかかったかな。
根気がいります。
この後、糸紡ぎを初体験。
「しの(だったかな?)」という直径(幅?)1.5cm×長さ20cmぐらいの棒状にまとめた綿から、糸を繰り出し、編み物のかぎ針みたいな糸巻きに、ねじりながら巻いていく。
書いたらたったこれだけだけど、これがすっごくたいへん!
何しろ、糸がすぐ切れる。ねじり過ぎても、ねじりが足りなくても、ほわっと切れてしまう。かぎ針状の糸巻きの、かぎ針の部分にひっかけた糸は外れるし、糸をつなぐには、せっかくねじった糸をある程度切って、「しの」のほわほわした部分とうまく重ねてまたねじる。これがうまくつなげなくて、せっかくつなぎかけたところよりさらに前が切れる……。
かぎ針の糸巻きは、お尻の部分に5円玉を4枚重ねてあって、それを重石にしてコマのように回すんだけど、これがうまくまわらず倒れる(T_T)
右手でコマを回し、左手は糸を繰り出す、それぞれの力加減やら、糸は垂直にとか、細かいところへの気づかいはしなきゃいけないし、糸は切れるし……。
「慣れるまでがたいへんなんですけど、慣れちゃえば、歩きながらでもできますよ」
うひょー、そんなことができるの!?
とはいえ、糸が切れるうちに、私の方がキレてくるし……、という目も当てられない有様だったので、糸紡ぎは写真を撮る余裕なんてまったくなしでした。
いやはや、ワタから糸をとるのが、こんなにたいへんとは思いませんでした。
昔の人は、よくこんなことを考えだし、根気よくやったものだと感心するばかり。
この公開講座、はじめから出ていた人は、もう自分で紡いだ糸で幅30cm×長さ1mぐらいの布を織っていた。糸を紡ぐだけで四苦八苦している私には、神様のように見える。
「糸や切りりば 結びもなゆり 縁ぬ切りりば 結ばゆめ」
(糸は切れれば結びもできるが、縁が切れればもう結ばれない)
これ、縫い糸で縫っているときに切れたら、と思ってたけど、「糸くり節」なんだから糸繰りしてるときのことなんですよね。木綿糸と絹糸の違いはあるでしょうけど、今日、「糸ぬ切りりば 結ばゆめ」だったことを思うと、人の縁が切れることをどれだけたいへんなことと教えているのか、あらためてズシンときました。
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