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Author:山川さら

次ぎ次ぎにいろんなことが起こり
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gooの木を植えよう!

18日「ズームインスーパー」

元ちとせさん&中孝介くんのライブに行ってきました。

日テレの「ズームイン!! SUPER」のライブ。
明日(18日)に放送されるそうです。
朝、5:20〜8:00。

ふたりの「糸繰り節」は放送されるんでしょうか。


早起きしてごらんください。





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2008-08-17(Sun) 21:41| 奄美| トラックバック 1| コメント 3

昭和34年古仁屋

まずはクリックで拡大してご覧ください。

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びっくりしました。

父から、昔、古仁屋の大火の取材に行ったことがあると聞いたことはあったのですが、
まさかその写真があったとは。

父の家にあったたくさんのアルバム。娘がたまたま手に取って開くと
「お母さん、古仁屋だって」


鹿児島から船で、ずいぶんかかっていった。
名瀬から古仁屋も、船だったかな、バスだったかな、覚えてないな。
奄美の大きな町でたいへんな火事があったらしいから取材に行けって言われていったんだ。
どんな大きな町かと思ったら、小さな家ばかりで拍子抜けしたよ。

そんな話を聞きました。

昭和34年1月5日からの奄美入り。私が産まれる前の、古仁屋の風景。
古仁屋の裏の山に広がる段々畑。島で聞いた「戦争中は山の上まで畑にしたのよ」という言葉が、2ぺーじ目にあります。

大島海峡の向こうに加計呂麻島が横たわる姿は、いまも変わりません。

焼け落ちた瀬戸内町役場の周辺を歩く人々。
バナナが下がる店の奥には港が見えます。

真っ黒に焼けたサボテンは、炎の強さを物語っているのでしょう。

父が一緒に写真を撮った旅館の娘さんは、いま、どうしていらっしゃるでしょう。


そして、おまけ。
父の奄美土産を一生懸命持ち上げるのは、もうすぐ3歳になる兄。

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きっとはじめて見るパイナップルだったんでしょうね。






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2008-08-15(Fri) 00:02| 奄美| トラックバック 1| コメント 6

じょうひ餅 と ぎゅうひ は同じ らしい

この前の記事で、もぱぴさんが「ぎゅうひ餅 と じょうひ餅……」で悩んでしまった。

そうなのよね……。
この前はあえて追求しなかったんだけど、私も「食感、似てるしなー」と思ってたんです。

で、ちょっと調べてみました。

まずは農林水産省「消費者の部屋」

Q 和菓子などで使われている「ぎゅうひ」とはどんなものですか。
A ぎゅうひ(求肥)は、白玉粉と砂糖で作るやわらかい餅状の生地で、餅のようにかたくならず、日持ちします。白玉粉のほかに、もち粉を使う場合があります。
 作り方は、米と水を合わせて蒸し、砂糖を加えてねる「水ねり」、水でこねたたねをゆでてから砂糖を加える「ゆでねり」があります。砂糖の量は粉の3倍ぐらいまで入れます。一部をあめにかえることもあります。ぎゅうひを生地だけで作る流しぎゅうひや、あんを包んでうぐいす餅などに加工したり、煉切(ねりきり)のつなぎに使うなど広く使われています。
(平成16年11月回答)



先日のじょうひ餅の原材料は「水飴、黒砂糖、上餅粉」。うーん、原材料は同じみたい。

続いて鳴海餅本店お菓子の発祥や由来から

求肥(ぎゅうひ)の由来
中国で牛碑と書いて、祭礼に用いられていたものが日本に航り、牛の革のように柔ら かいところから牛皮と書かれました。また院の聞召しで「牛皮飴」を奉ったところ字を改めろとの 命が有り「求肥飴」とされました。昔は黒砂糖や赤砂糖を使用したので色が汚く牛皮と呼ばれまし たが、柔らかく弾力性があるので求肥餅とも呼ばれました。江戸時代では上杉家が、軍用食糧品と して保存が効くので、牛皮を求肥と命名したともいわれ、このころはくず粉・わらび粉・玉砂糖を 餅米粉に入れて火にかけてねり水飴を混ぜて冷やしたものでした。


昔は黒砂糖を使っていた……やっぱり同じ?
中国から伝わってきたっていうのも、琉球→奄美まで来ていて、薩摩藩に? あ、でも上杉家で軍用食糧品として使ってたっていうから、これはハズレか。

さらに、辻調理学校調理の基本技法から求肥の作り方(写真解説なのでさすがに転載できません。クリックしてください)。

こちらは水飴は使わず、砂糖も上白糖。だけど、たぶん水飴・黒砂糖・上餅粉っていったら、これと同じ作り方しかないですよね。ぎゅうひの方がもうちょっと伸びるけど、粉を練る固さが違うのかなー。水飴を使うから? でも農水省のAには砂糖の一部をあめにかえることもあるってあるから、水飴を使ってるぎゅうひもあるんですよね。。。

んー、すっきりしないけど、どうも同じモノ(近種?)らしい。


ところで、私のじょうひ餅謎は、もうひとつあるんです。

あの、外側の白いキラキラした粉みたいの、何なんでしょう?
上の作り方だと、型に流したあと、表面に片栗粉を振ってるけど、これは乾燥防止でしょうね。それにあのキラキラの粉はぜったい片栗粉じゃないもん!





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2008-05-03(Sat) 21:59| 奄美| トラックバック 0| コメント 8

じょうひ餅は上品な餅だった

johimochi あっ じょうひ餅だ!
 しかも「かけろま純黒糖100%使用」とあるじゃないですか!

 さっき買い物に行ったときに見つけました。
 いままでは気づかなかったけど、
 いずれにしてもうれしいです \(^o^)/ 

 奄美自然食本舗のじょうひ餅 ¥380(税別)


黒糖の香りたっぷり、うれし〜!

ところで、前から気になっていた「じょうひ餅」という名前。袋の裏に書いてありました。

じょうひ餅の名称について
奄美大島では古くからお祝の席にじょうひ餅が使用されております。
江戸時代に入り、島津の殿様に奄美の名産として、じょうひ餅を献上したところ大変喜ばれ、美味しく召し上がられ、上品な味がするとおほめの言葉を頂き、以来上品な餅(略してじょうひ餅)、という名称になったと伝えられます。
奄美大島400年伝統の手づくり風味豊かな黒糖餅です。



来年は島津藩の奄美侵攻400年。「じょうひ餅〜」と浮かれてたのが、なんだかフクザツな気分になりました。

だからって、食べないとか、味が落ちるってわけじゃなくて、ほんとおいしくて大好きなことには変わりないんですけど、そうか、そういう背景があったのか……。

お殿様は「上品な味」と美味しく召し上がられたのかもしれませんが、そのとき、島の人たちはわずかな刈り残しも罰せられて黒糖は口にできなかったし、生活物資も納める黒糖との交換だったわけです。ということは島の人たちはこれをつくっても食べられなかった、はずですよね。島の人たちがこの餅のことを知って、食べられるようになったのは、いつ頃のことだったんでしょう。。。








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2008-04-30(Wed) 14:05| 奄美| トラックバック 0| コメント 0

島バナナの会のじゃがいもに涙

jagaimo_toku 徳之島のじゃがいも。
 ほんのり赤い。
 赤土の畑を思い出す。





新じゃがの季節。大地宅配の新じゃが生産者に「島バナナの会」が入っていたので「これは買わねば!」と注文。

島バナナの会、懐かしい。
私が奄美の島々とつながるきっかけが、徳之島の島バナナの会だった。

もう16、7年前になるかな。
子どもを安心できる食べ物で育てたいと思って、大地に入った。そこで「島バナナ」を初めて知った。「へぇ〜 日本でもバナナができるんだ」とびっくりして注文。でも、欠品。理由は「台風でバナナは全部倒れました」。

またびっくりした。バナナの木が倒れる??

翌年、5月頃だったかな。夏休み産地訪問ツアーのお知らせが入ってきて、その第一弾が7月初旬の徳之島ツアーだった。

そのとき私は、徳之島がどこにあるかさえ知らなかった。でも、いや、だからこそ「こんなチャンスでもなきゃ、徳之島なんて一生行くことがない!」と申し込んだ。

行くまでに徳之島の位置とか、ちょっとしたことはわかった。大島紬が奄美大島の伝統工芸だってことも、このとき初めてわかった(それまでは伊豆大島だと思ってた)。

2泊3日だったかな。徳之島ツアー。
いやもう、まず暑さと日差しの強さに驚いた。

子ども連れも多かったけど、その暑さの中、里芋堀りの体験したり、バナナ畑を見学に行く途中で迷子になったり、バナナは木じゃなくて草なんだってまたまた驚いたり、初シュノーケリングを楽しんだり、ハブ酒のまわし飲みしたり。思い出は尽きない。

「一生行くことがない」と思った徳之島。その後、何度行ったろう。ツアーで仲良くなった果樹農家に居候させてもらってびわ畑の手伝いをしたのも、徳之島だった。

その後、大地の配送エリアから外れたところに引っ越したり、いろんなことがあって離れていたけど、昨秋再入会。そして徳之島の新じゃが。もうね、涙出るくらい懐かしいですよ。

あの畑の暑さとか、木陰に入ったときの気持ちよさ、みんなで浜でバーベキューしたときヤギにビビッたこととか、まさに芋づる式に甦ってきます。

あぁそうか、島で生まれ育って島を離れて暮らしてる人が、島の食べ物に出会ったらこういう気持ちがするのかな。そして私よりもっともっとたくさんの実がついてる芋づるをもっているんだろうな。


今日は肉じゃがにしました。
080427 もちろん徳之島の黒糖入れて煮ました。
 明日の朝ごはんとお弁当にもと
 多めにつくったはずなのに、足りるかな?

 手前はタケノコごはんと若竹煮。
 奄美でもタケノコのシーズンのようですね。









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2008-04-27(Sun) 23:51| 奄美| トラックバック 0| コメント 0

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