この土日(11/21、22)、
自由の森学園では
公開教育研究会が行われました。
昨日の中学3年、社会の授業は「奄美のクロウサギ裁判ー自然の権利を考える」。
前期は普天間基地移設問題を考える中で、朝日新聞の
『沖縄の海を守りたいーCocco「ジュゴンの見える丘」』という特集記事も取り上げていたようです。
後期は裁判を扱う授業。担当の上野さんは、「裁判員制度やえん罪、死刑というテーマもあるけど、アマミノクロウサギ裁判を思い出したので取り上げたい」と昨日の授業になりました。
上野さん(自森では教員を「先生」とは呼ばず「○○さん」と呼びます)は
『報告 日本における[自然の権利]運動 第2集』を読み込みながら、海を泳ぐジュゴンの姿と、森を駆け回るクロウサギの姿が重なってくるように感じつつ、当日の授業案を組み立てたようです。
ポイントは
・動物たちの権利は認められるか
・原告はどういう根拠で自らの権利を主張しうるか など。

割とおとなしいクラスだったので、活発な意見交換とはなりませんでしたが、それぞれが「考えている」雰囲気は伝わってきました。
生徒たちの多くは「動物の権利は認められる」、「人間も自然の一部。人間だって動物なんだから、ほかの動物の権利も認められるべき」などの意見でした。
1995年2月に提訴され、2001年1月に原告の訴え却下になるまで丸6年。授業では、判決文の最後にある文言も紹介されました。
しかしながら、個別の動産、不動産に対する近代所有権が、それらの総体としての自然そのものまでを支配し得るといえるのかどうか、あるいは、自然が人間のために存在するとの考え方をこのまま押し進めてよいのかどうかについては、深刻な環境破壊が進行している現今において、国民の英知を集めて改めて検討すべき重要な課題というべきである。
原告らの提起した「自然の権利」(人間もその一部である「自然」の内在的価値は実定法上承認されている。
それゆえ、自然は、自身の固有の価値を侵害する人間の行動に対し、その法的監査を請求する資格がある。
これを実効あらしめるため、自然の保護に対し真摯であり、自然をよく知り、自然に対し幅広く深い感性を有する環境NGO等の自然保護団体や個人が、自然の名において防衛権を代位行使し得る。)という観念は、人(自然人)及び法人の個人的利益の救済を念頭に置いた従来の現行法の枠組みのままで今後もよいのかどうかという極めて困難で、かつ、避けては通れない問題を我々に提起したということができる。
自森の授業は、「正解」を出すことよりも、「テーマについて考える」ことをたいせつにしています。昨日の授業でも、「どうしてこういう結果になったか」その考え方を整理して、裁判の始まり~結果をなぞるのではなく、この裁判を例として、動物の権利と人(社会)の権利は等しいかどうかを、各自が考えるように導かれていたように感じました。
それぞれが、疑問を抱えたまま授業は終わったのですが、そうして何かスッキリしないものを抱えていくのも、自発的に学ぶきっかけになるのかもしれません。
授業を聞きながら、アマミノクロウサギの「非常事態宣言」のことを思っていました。
アマミノクロウサギ「非常事態宣言」 事故死など急増あまみ頼りblogでは、
アマミノクロウサギ事故防止キャンペーンのチラシも掲載されていましたが、こうした状況にあるいま、こういう裁判になったらどういう判決になるでしょう?
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